大久保有加
花道家。 草月流を家業とする家に生まれる。 幼少より母である州村衛香に師事。 展覧会での作品発表をはじめ女性誌での連載、執筆活動、雑誌でのスタイリングやライブパフォーマンスなど、既成概念にとらわれない「IKEBANA」の魅力をさまざまなジャンルで追求している。 IKEBANA ATRIUM http://www.ikebana-atrium.com/ |
(2010年10月 東銀座にて)
人と植物の関わり
(清水宣晶:) 今日は、ちょっといつもとスタイルが違うんですけど、3人での対談形式で進めたいと思ってます。
有加さんと紘一には、「植物」っていう共通のテーマがあるから、
一緒に話しをするのはすごく面白いだろうと思って。
(大久保有加:) はい、面白そう!
紘一が、宙-SOLA-を作るきっかけには、
有加さんの生け花の影響はあったの?
(吉村紘一:) 前に、青山の草月会館に展覧会を見に行った時、
有加さんがライブで植物を活けてて、「土と共に生きる」みたいなオーラが、たまらなくカッコいいと思ったんだよね。自分もそう生きたい!という思いが、宙-SOLA-の原体験になっていると思う。
植物の美しさを、そこで感じたんだね。
生け花のイメージって、かっちりした伝統的な感じをイメージしてたんだけど、草月流は、結構アバンギャルドなことをやっていて、
それを見た時、すごいカッコいいと思ったな。
光栄です。
それは、すごく嬉しい。
有加さんて、すごく視野が広くて。
花道家ではあるんだけど、花業界全体を盛り上げるみたいなところを考えて、いろんな企画を考えたり、
人と人をつなげたりしているのが、すごいなって思ったんだよね。
そういうのが、楽しいの。
それは、生け花と一緒の感覚で、
枝物と花があって、これとこれを組み合わせて、
この器に生けたらキレイだな、って考えるような。
有加さんの見方って、コーディネーターの視点ですよね。
素材があって、それからどういう物が作れるかっていうことを
考える習慣になってるんだと思うな。
そう、人と人との組み合わせによって、
空気が動いて場が変わったり、全然違うものが生まれるっていう可能性にワクワクするし、すごくテンションが上がる。
生け花って、自然そのものの姿ではなくて、加工をしているでしょう。
有加さんが「花の美しさ」ってことを考える時は、自然の美しさに、人の手を加えた時の姿をイメージしてるんですか?
花そのものが、美しいものなんだけれど、
人が関わったことによって新しい美しさが生まれる、
そういうところにとても興味が湧いてくるの。
紘一の、宙-SOLA-の場合は、
逆に、なるべく自然そのままの状態を形にしようとしている?
そうだね。
ただ、それだと、
「普通に木の実を売ればいいじゃん」て話しなんだけど、
そうじゃなくて、ああやってキューブに封入しようとしてるっていうのは、何かしら自然と「関わりたい」っていう感じなのかも。
俺は、やっぱり植物の造形美っていうことに興味があって、
その海に深く入りたいっていうか。
キューブに封入してることで、
実の中に紘一くんが入っちゃってる感じはあるよね。
たしかに、そうかもしんない。
宙-SOLA-を見た時に、
モノにもやっぱり作り手の「人」が出るから、
あ、これが紘一くんの生け花なんだな、って思った。
「紘一の生け花」!
言われてみれば、たしかに。
生け花は、流派によって表現の仕方は千差万別。
根源的には、人と植物の関わり方、感じ方はそれぞれ違うけれど、繋がっている。
瞬間瞬間に刻々と変わっていく命の輝きを表現する、という意味では、同じなのだと思う。
生け花と宙-SOLA-で、ちょっと違うところがあるとしたら、
生け花は、命あるものが枯れていくという時間の経過まで含めて表現をしていて、
宙-SOLA-は、時間を止めて形を残そうとしているところなのかな。
どっちの良さもあるような気がしていて。
自分は、アクリルに封入するっていうことを選んだことで、
それでしか出来ないこともあるし、ドライな物しか入れられないっていう制約もある。
制約を作るからこそ表現なんだけど、
今この瞬間にある、輝いている花っていうものへの憧れもあるんだよね。
ライブとCD
たとえば音楽でも、大きく分けると、「ライブでの表現」と「CDでの表現」の2種類があると思うんですけど、
それで言うと生け花は、「ライブ」の割合が多いものなんですか?
基本的には「ライブ」ですけれど、
生け花でも、「写真花」 と呼んでいますが、写真で撮影して残す、ということを前提に作品を作ることは多いです。
写真は2次元の平面なので、そのための花の活け方や表現方法は変わってきますね。
やっぱり、活け方が違うんですね。
カメラマンの方に、平面の中に空気を写しこんでもらわないといけないんだけれど、生け花って立体なので、見る角度によって顔が変わってくる。
活ける時は、一つの面しか見えてないはずでも、無意識に全体的なバランスをとりながら活けていて、
それを考えると、人間てすごく、全身で感じてるんだなって思います。
「ライブ」と「CD」って話しで言うと、有加さんは、
「形として残したい」っていう気持ちはあるんですか?
残したいといえば残したいけれど、
それよりも、「関わっていたい」という気持ちの方が大きいのが正直なところです。
何か、「すごくいい!」と思えるものが出来た時、
その時にその場にいた人たちとは共有出来るんだけれど、
それが、その場にいなかった人に伝えられないっていう惜しさはないですか?
ライブでは、その場の人と共有出来ている喜びがあれば、とても嬉しいもの。究極のところ、花と私、その場との共有です。
そこにもっとたくさんの人がいたとしたら、生まれなかったものかも知れないじゃない?
「残して伝えよう」って思った瞬間に、出てくるものも変わってしまうから。
結果として残ったら嬉しい気持ちもあるけれど、作品を作っている時は、とにかく納得出来るものを作ることを考えているから、残すところまで考える余裕がない。
なるほどね。
宙-SOLA-の場合は、逆に、
「形に残したい」っていうところから入って。
作ったものがどんどん消費されて無くなっちゃうっていうことへの虚しさがあったところに、植物の、動物よりも何倍も長く生きる感覚がいいなって思ってたんだけど。
でも、今思っているのは、最初から「残したい」っていうよりは、
瞬間瞬間の積み重ねっていうか、
常に進化を続けることが、結果的に残ることなんだ、って思ってる。
軸の部分を残しながらも、
どんどん変わっていくってことだね。
この前、小沢一郎が「変わらずに生き抜くには、変わり続けなければいけない」っていうことを言っていて、
ああ、いいこと言うなあって思って。
植物自体が、そういう進化をしているものだよね。
変わっていくことで生き残っていくっていう。
そうそう。
その、植物のスピード感が好きで。
あんまり変わってるように見えないじゃない。
でも、何万年とかのスパンだと変わってる。
宙-SOLA-もそういう変わり方をしたいと思ってるんだよね。
いきなり全然変わったものを出すっていうよりは、
ちょっとずつ変わっていって、
十年前と比べてみると「あ、変わったね」っていう感じがいいって思ってる。
植物と向かい合う
生け花のレッスンに通う生徒は、男の人も多いんですか?
結構いますよ。
もともと生け花って、男性のものだし。
ええ!?
「道」ってつくものは、みんなそうだと思うけれど、
「華道」も、女性の手習いとか花嫁修業でやるようになったのは江戸の後期からで、それまでは、一家の主が床の間に花を活けるためのものだったんです。
決断力とか判断力を培うって意味でも、
男性のほうが醍醐味を味わえるところはあると思う。
なるほど!
面白いなあ。
植物をどう仕上げていくかっていうとき、
ヨーロッパではどんどん足していくけれど、
日本は余計なものを削ぎおとしていきますよね。
引き算の美学ですね。
一本の枝の、どこが一番美しいかを見極めて、
ハサミを入れていくわけなんですけど、
「一番美しい部分はここだ」って判断して、実際に行動に移していくっていうのは、経営とか仕事的なスキルにも通じるものなんですよ。
で、ハサミで落とした枝も、
これはこれでキレイだから、足もとの茂りに使ったり、
他の器で使ったり、活かせる場所があって。
それって、人事と似てるなあって思う。
(笑)人事と似てる!
たしかに、適材適所を考えるってところは同じかも。
そういう部分は、すごく男性的だなって思う。
生け花って、花を活かすことだけれど、
やってみたら「ここは残しておいたほうがよかった」って、失敗もするわけです。
切ったものは戻せないから、
一回一回が決断ですよね。
その失敗から、何を教訓にするかとか、
発想を転換してどうリカバリーするかとか、
状況の判断とか、頭を切り替えるスキルがすごくつくんです。
その人の人生観とか価値観が、
活け方にあらわれるんでしょうね。
そう、そういう意味で、
生け花は、植物を自分の鏡のようにして、
向かい合っていく作業なのだと思う。
前に有加さん、植物を「依り代」って言ってましたけど、
植物を通じて、自分の無意識の部分に語りかけるようなことはあるんですか?
「声なき声」というか、
植物はしゃべらないけれど、命があって、
植物の気持ちになって、どうやったら喜ぶかってことを
慮(おもんぱか)りながら関わっていくから、
それはすごく本能的な部分を刺激するし、
自分の感覚を取り戻していく、という作業だと思うのです。
うんうん。
上手に活けようとすると、理性が働くから、
「自分がこうしたい」っていうエゴで植物を伏せようとするのは、
あまりいいコミュニケーションじゃなくて。
「自分はこうしたいけど花はどうかな」って聞きながら、
植物が喜んで、自分もしっくりきてるな、って思えれば、
たぶんそれは他の人から見ても、いい花が生まれると思います。
自分の感覚を取り戻す方法とか、
何か一つ、それを通してあらゆることを考えられる
軸があるっていうのはいいですよね。
それは、本当は生け花じゃなくてもよくて、
盆栽でも音楽でもいいし、レーサーの人だったら車かもしれないし。
それは人それぞれでいいと思うけれど、
植物はふところが深いから、それがかなり多くの人にとってのヒントになるっていうのはあると思います。
植物ってたしかに、
対峙する相手として、どこまでいっても終わりがない
底の知れなさがある感じがしますね。
そう、植物の中にエネルギーとか、荘厳な力があって、
そういうものと向きあうことで、
気がつかせてもらえるようなパワーはすごくあると思います。
アーティストや作家の人たちも、自分が書いているんじゃなくて、
「書かされている」って感じることをよく話しますよね?
無意識になって、ワーッと夢中になって植物と向かい合えた時に、自分の力以上に溢れてくる表現や充実感が、生け花にもあるんだと思う。
(2010年10月 東銀座にて)
【吉村紘一さんからの紹介】
10年近く前の出来事ですが、今でも鮮明に覚えています。
草月会館の展覧会で、有加さんがライブでお花を活けている姿を。
植物と対話をしながら、有加さん自身の作品として昇華している、
その神秘的な姿を前に、ぼくは立ちすくんでしまいました。
「活け花はこんなにも前衛的で、カッコいい表現なのか?」と。
頭をガツーンとかち割られたような衝撃的な体験でした。
それからぼくは色々な体験の積み重ねを経て、「植物の造形美」を
テーマにSOLAというプロダクトブランドを立ち上げるわけですが、
草月会館でのその出来事が、大きなきっかけになっていることは、
間違いありません。
きっかけを与えてくれた有加さんには、心から感謝しています。
そんな有加さんと、渋谷のApple Storeで「植物とデザイン」
というテーマでトークイベントを一緒にやれたことは、
本当に嬉しかったなぁ。
ひとりの表現者として、憧れの存在だった有加さんと、
同じ場に立てていることに、静かに感動を覚えました。
実は、有加さんとはこれから一緒に形にしようと思っている
プロジェクトがいくつかあります。
植物というフィールドで、有加さんとご一緒できることが楽しみで
なりません。
あの時、草月会館で感じた衝撃的な体験を、
今度は僕が有加さんに感じさせたいですね。かなりおこがましいで
すが。。(笑)
10年近く前の出来事ですが、今でも鮮明に覚えています。
草月会館の展覧会で、有加さんがライブでお花を活けている姿を。
植物と対話をしながら、有加さん自身の作品として昇華している、
その神秘的な姿を前に、ぼくは立ちすくんでしまいました。
「活け花はこんなにも前衛的で、カッコいい表現なのか?」と。
頭をガツーンとかち割られたような衝撃的な体験でした。
それからぼくは色々な体験の積み重ねを経て、「植物の造形美」を
テーマにSOLAというプロダクトブランドを立ち上げるわけですが、
草月会館でのその出来事が、大きなきっかけになっていることは、
間違いありません。
きっかけを与えてくれた有加さんには、心から感謝しています。
そんな有加さんと、渋谷のApple Storeで「植物とデザイン」
というテーマでトークイベントを一緒にやれたことは、
本当に嬉しかったなぁ。
ひとりの表現者として、憧れの存在だった有加さんと、
同じ場に立てていることに、静かに感動を覚えました。
実は、有加さんとはこれから一緒に形にしようと思っている
プロジェクトがいくつかあります。
植物というフィールドで、有加さんとご一緒できることが楽しみで
なりません。
あの時、草月会館で感じた衝撃的な体験を、
今度は僕が有加さんに感じさせたいですね。かなりおこがましいで
すが。。(笑)
【清水宣晶からの紹介】
有加さんの話しを聞いていると、あらゆる物事を、生け花を通じて考えているんだということが伝わってくる。
一つの切り口を発端に、とめどなく言葉があふれ出てきて、それは必ず植物への思いにたどり着き、「自分が生きる」ことと「花を生ける」という行為が、同じ線上で交わって一つになっているのだと思った。
花道という小さな一点に意識を集中させることで、広い世界全体と関わっているようなスケールの大きさを、有加さんからは感じる。
今回、作品の写真を見せてもらって初めて知ったのだけれど、草月流の生け花というのは、僕の想像を遥かに超えて創造的なもので、ここまで多彩な表現が可能なのかと驚いた。
有加さんの、しっかりとした基本の型を持ちながらも、幅広いジャンルで自由に動きまわる活躍の仕方というのは、まさに、草月流の生け花を自分自身で体現した生き方なのだと思う。
有加さんの話しを聞いていると、あらゆる物事を、生け花を通じて考えているんだということが伝わってくる。
一つの切り口を発端に、とめどなく言葉があふれ出てきて、それは必ず植物への思いにたどり着き、「自分が生きる」ことと「花を生ける」という行為が、同じ線上で交わって一つになっているのだと思った。
花道という小さな一点に意識を集中させることで、広い世界全体と関わっているようなスケールの大きさを、有加さんからは感じる。
今回、作品の写真を見せてもらって初めて知ったのだけれど、草月流の生け花というのは、僕の想像を遥かに超えて創造的なもので、ここまで多彩な表現が可能なのかと驚いた。
有加さんの、しっかりとした基本の型を持ちながらも、幅広いジャンルで自由に動きまわる活躍の仕方というのは、まさに、草月流の生け花を自分自身で体現した生き方なのだと思う。